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JAPAN CHRONOLOGY 1955〜1988 
1955.4.23 ロブ・ディーン、クラプトンにて誕生。
1957.11.30 リチャード・バルビエリ、ロンドンのルイスシャンにて誕生。
1958.2.23 デヴィッド・シルビアン、ケント州ベッケナムにて誕生。
  7.24 ミック・カーン、キプロスの首都ニコジアにて誕生。
1959.12.1 スティーブ・ジャンセン、ロンドンのスィディナムにて誕生。
1971〜72 デヴィッド、ミックに初めて会う。
1975  冬
サウス・ロンドンのルイスシャンのハイスクールに通うようになったデヴィッドとミックは、スティーブを加えバンドを結 成する。
この時には3人共楽器の扱いを殆ど知らなかった。唯一ミックが学校のオーケストラでバス―ンを吹いた経験がある程度だった。自分達の好きなパートを選んだ結果、デヴィッドがギター、ミックがベース、スティーブはドラムという編成となった。スティーブは30ポンドで中古のドラム・キットを買い、何とバンド結成2週間で初めてのギグを行った。3人は服装があまりにも派手であったため、放校処分にあった。その後、学校の友人であったリチャード・バルビエリに再会。リチャードはオルガンを買い、練習を始める。   
1976. 1月 リチャードがオーデションにより、バンドに加入。この時点で、バンド名を“JAPAN”と決めた。
“実を言えば人を混乱させるためにつけたのさ。このグループの名前とイメージとスタイルが、人に「何だろう?」
という好奇心をおこさせるために絶好のネーミングだと思ったのさ。それ以外の何物でもないよ。そして僕らが売り出すために、まさしくこの名前“JAPAN”があったという訳さ。”(デヴィッド)
メロディー・メイカー誌にギタリスト募集広告を出す。メンバーは17〜8歳のギタリストを期待していたが、数日 後やって来たの、22歳のロブ・ディーンだった。
トラフィックのメンバーだったジム・キャパルディーのソロツアーの前座を申し込まれる。
幾つものレコード会社に売り込んだが、パンクでもヘビー・メタルでも無い彼らの音楽と派手な服装から、何処でも拒絶された。
JAPANの写真を見たドイツのアリオラ・ハンザのスタッフが契約しに来る。当時のマネージャーはサイモン・ネピアー・ベルという人物で、以前にはヤードバース、マーク・ボラン、ジョンズ・チルドレン、ゴングなどのマネージャーであり、ロック界では有名であった。
1978.4.7 デビュー・アルバム「果てしなき反抗」がイギリスで発売される。この当時、イギリスでは「ニューヨーク・ドールズのコピー」などの冷たい反応が多かった。デヴィッドは「ミック・ジャガーとブリジッド・バルド―の混血」などと呼ばれた。
5〜6月 ニューヨークのバンド、ブルー・オイスター・カルトのイギリス・ツアーのサポート・バンドに選ばれ、初のイギリス・ツアーを行う。
9.25 日本でデビュー・アルバム「果てしなき反抗」とシングル「奇しい絆 表通りの愛人達」が発売。レコード発売前から異常な人気を見せていた日本では、発売日に1万5千枚を売るというデビューを飾った。
10月 イギリスで2作目LP「苦悩の旋律」が発売。
11月 初のアメリカ・ツアーを行う。サンフランシスコ、ロサンジェルス、ボストン、ニューヨークの各地で演奏。
11.24 メイン・アクトとして初のイギリス・ツアー開始。シェフィールド・ポリ―を皮切りに、12月9日、マンチェスターのメイフラワーで終了。
11.25 日本でLP「苦悩の旋律」とシングル「孤独な安らぎ/愛の伝染」が発売。
1979.1月 ロブ・ディーンがスタジオでリハーサル中にケーブルに足をかけ転倒。骨折のため、ヨーロッパ・ツアーをキャンセル。
1.20 JAPANの次のシングルをサンディー・パールマンがプロデュースすると報道されるが、実現しなかった。
3.5〜11 JAPAN初来日コンサート開始。
13 日本からロサンジェルスへ向かう飛行機の中で、デヴィッドは、日本の印象を基に「ライフ・イン・トウキョウ」を書く。
15 ドイツ人、ジョルジォ・モローダーのプロデュースで「ライフ・イン・トウキョウ」をレコーディング。ジョルジォはドナ・サマーやスパークスなども手掛けたプロデューサーでディスコ・ブームの生みの親のひとりであり、この曲もディスコ調となっている。
3.26 ヨーロッパ・ツアー開始。ドイツ、フランス、オランダで演奏。
4.12 ロンドンのレインボー劇場で、コンサートを行う。前座はレゲエ・バンドのレゲエ・レギュラー。
8.1 日本にてシングル「ライフ・イン・トウキョウ/同Part2」発売。
9月 サード・アルバムのレコ―ディングが開始される。プロデューサーは、全2作のレイ・シンガーに替わって、ジョン・パンター。彼はブライアン・フェリー、ロキシー・ミュージックなども手掛けている。
11月 コンサートのステージ・メンバーとして、女性のサックス奏者を募集。記事に載ったその日にやって来たジェーン・ショーターを起用し、4日後にトロント公演を行う。
12.20 サード・アルバム「クワイエット・ライフ」とシングル「クワイエット・ライフ/ハロウィーン」日本で発売。
1980.1.29〜30 ロンドンのクラブ、ザ・ヴェニューに出演。この頃からイギリスでも正当な評価を受けるようになる。
2月 シングル「クワイエット・ライフ」がイギリスでスマッシュ・ヒットとなる。
3.13〜29 日本ツアーのため、2度目の来日。
5.21 シングル「セカンド・ザット・エモーション/ヨーロピアン・サン」日本で発売。
6.28 この日付けのイギリスの音楽誌で、JAPANがヴァージン・レコードと契約したことが報じられる。ヴァージンの発表では、「ヴァージンが新たに目指すコマ―シャリー・オリエンテッドなポリシーに基づいたメインストリーム路線の拡大の為にJAPANを獲得したもので、ギランに続く、同路線のニュー・アクトである。」というもの。(何か訳わからん!)
9.26 ヴァージンからのデビュー・シングルがイギリスで発売。2枚組みシングルで「孤独な影/ジ・エクスペリエンス・オブ・スウィミング」と「ザ・ウィドス・オブ・ア・ルーム/バーニング・ブリッジス」のセット。
11月 イギリスでヴァ―ジン第一弾アルバム「孤独な影」発売。
11.27 ロンドンのライシアムにてコンサートを開く。
12月 ヨーロッパ・ツアーを行う。
12.20 日本でアルバム「孤独な影」とシングル「孤独な影/バーニング・ブリッジス」発売。
1981.2.15〜25 3度目の来日公演開始。日本ツアー終了後、ロブ・ディーン脱退。
3月下旬 ニュー・シングルのレコーディング開始。
3.21 日本でピック・ラベル盤「ザ・シングルズ」発売。
4月下旬 イギリスのアリオラ・ハンザ・レコードが「ライフ・イン・トウキョウ/ヨーロピアン・サン」のシングルを発売。
5.7〜17 イギリス国内ツアーを行う。先に脱退したロブもゲスト参加した。サポート・バンドはモダン・イングリッシュ。
5.20 デヴィッド、慢性盲腸炎のため入院。先のツアーではメンバーに知らせず、薬で散らしながら歌っていた。
5.21 シングル「ジ・アート・オブ・パーティーズ/マイ・ニュー・カリア―」日本発売。ギターはデビッドが担当。
5.30 イギリスのチャートで、「ジ・アート・オブ・パーティーズ」が23位に登場。初のトップ30入りとなった。
6.5 デヴィッド退院。
6月 ミック・カーン、日本人女性とロンドンのオールド・グロウセスター通りにあるオクトーバー・ギャラリーの中に“ペンギン・ギャラリー”というレストランを開店。ペンギン・カフェ・オーケストラが演奏会を行うなどして話題となったが1ヶ月で閉店する。
8月下旬 イギリスのリーズで9月に」開催されるロック・フェスティバル“Daze Of Future Past”にJAPANが出演すると発表となったが、後にキャンセルとなった。
8.21 イギリスのアリオラ・ハンザ・レコードがシングル「クワイエット・ライフ」を再発売。
9.11 同じく同社から、JAPANのアリオラ・ハンザ時代の作品を編集したベスト盤「Assemblege」が発売される。
アルバム未収録5曲が含まれていた。日本未発売。
9.25 ゲイリー・ニューマンのアルバム「ダンス」日本で発売。ミック・カーンがゲスト参加。
10.10 この日付けのイギリスのチャートに、シングル「クワイエット・ライフ」(25位)とアルバム「Aseemblege」(27位)がランク・イン。翌週には、16位と15位に上昇。最高位を記録。
11.6 ヴァージンからのニュー・シングル「ヴィジョンズ・オブ・チャイナ」が発売される。
11月 先に脱退したロブ・ディーンがカリフォルニアのローカル・バンド、ヴィヴァビートに加入。
11.13 ヴァージンからの2作目(通算5作目)のアルバム「錻力の太鼓」がイギリスで発売。また、同日にJAPANの曲「メソッズ・オブ・ダンス」にヒントを得たダンス・ミュージックのオムニバス盤「メソッズ・オブ・ダンス」が、イギリスのヴァージンから発売となり、JAPANの「ジ・アート・オブ・パーティーズ」も収録された。
12.5 「錻力の太鼓」が日本でも発売。また、同日付けのイギリスのチャートで「錻力の太鼓」は14位に初登場。翌週8位に上昇。最高位を記録し、その後20週間トップ30以内にランク・イン。
12.7〜23 イギリス国内ツアー開始。ザ・コーニッシュ・コロシアムからロンドンのハーマスミス・オデオンまで13回公演を行う。ゲスト・ギタリストとしてランダム・ホールドのデヴィッド・ローズ(後にピーター・ガブリエル・バンドでも活躍)が参加した。ツアー中からJAPANの解散説が噂されるようになり、JAPANのマネージメントからはツアー終了後3ヶ月はバンドとしての活動を休止するとの“休養宣言”が出された。    next